発声でお悩みの方へ
皆様はじめまして。声楽家でテノールの宗像成弥です。東京都多摩市を拠点に伝統的なベルカント唱法による声楽教室を開いています。このホームページは「歌った後に喉が疲れる」、「高い声が出ない」といった声の諸問題を解決する為のメソードを出来るだけ難しい表現や専門用語を用いず、誰もがわかりやすく実感を持って理解できるように工夫し、まとめたものです。発声の技術論だけではなく、”日本人に特有の癖をいかにして克服するか?” というテーマに沿って、普段のレッスンで重視していることを順序立ててまとめています。又、7年近くスランプで苦しみ続けた私自身の苦い経験を元に、発声指導者が陥り易いワナとその克服方法についても解説しています。
演奏者である自分の身体を楽器にするという特殊な演奏形態を持つ声楽は、客観的な自己分析力が習得の大きなカギとなります。独学で勉強しても、良い結果に結びつく事は、ほとんどありません。
発声法を学ぶにあたって一番大切なことは、正しい声を聴き分ける耳と修正する方法論を持ち合わせた指導者を見つけることです。
30年近く発声について考えてきた私が1つ確信している事があります。原因になっていると思われる部位を直接修正する方法では、根本的な発声の問題は解決できないということです。
別の要素を通じて間接的、統合的に問題を修正することが非常に重要になり、これらの結び付きは人間が持っている感情衝動のバランスとも深く繋がっています。
これらの関連性をご理解頂くことにより、発声のスランプや初歩的なつまずきで苦しんでおられる方は勿論、発声の指導者にとっても、問題解決の手助けになればと思っています。万国共通であるはずのベルカント唱法が師事する先生によって様々に解釈され、生徒を混乱させている原因についても、伝統的な古いベルカントと近代のベルカントの違いをご理解頂くことにより明らかになるはずです。「声は前に?それとも後ろに?」「喉は閉じて歌う?開いて歌う?」「息を支える?お腹で支える?それとも背中?」等々、釈然としない理解のまま、歌い続けている方々が、本来のベルカント唱法の奥深さ、そして人間が本来持っている良く共鳴した美しい声を出せた時の他の何物にも代え難い、大きな達成感、満足感を知って頂くきっかけになれば幸いです。
※このホームページは主に声楽や合唱、ラテン系の言語を基にする音楽を志す方を対称に作られていますが、それ以外のジャンルの方でも興味を持って読んで頂けるよう、専門性が高いと思われる箇所にはリンクボタンを設置し、読み飛ばして頂けるよう工夫してあります。又、関連サイトなどへのリンクはをクリックして頂ければ自動的に進むようになっています。元のページに戻る際は、ブラウザの『戻る』をクリック願います。
ホームページ開設に至った経緯
<一般大学卒業後、声楽の道を志しイタリアへ>
私が声楽の道を歩むきっかけとなったのは、一般大学入学後、偶然入団することになった混声合唱団での影響です。この合唱団で取り上げられていたオペラ合唱曲の素晴らしさや音楽監督をなさっていた先生の魅力や影響を通じて、次第にオペラに魅了されていった私は大学卒業後、就職を強く勧める両親を何とか説得し、2年間だけとの約束で音楽の基礎を学ぶための専門学校に入学しました。約束の2年が過ぎた後も、歌に対する情熱は冷めやらず、会社勤めをしながら(財)日本オペラ振興会のオペラ歌手育成部の夜間コースで実践的な勉強を続けました。
オペラ歌手育成部を卒業した後、会社勤めは続けながら、オペラやコンサートに出演するようになり、三十歳を過ぎたあたりからは客観的な力試しの為、国内の著名なコンクールに挑戦するようになりました。しかし、コンクールの世界は甘くはなく、毎回、一次予選落ちを繰り返し、自分の無力さを思い知らされた私は、勉強の仕方や、音楽への適性を考え直す必要性を突き付けられました。有名な声楽教師の来日レッスンを機会を見つけて受講したり、一か月程のイタリア短期留学でレッスンに通い、確信できる正しい発声法を身に付けたいと暗中模索を続けていました。しかし、短期間の留学や有名歌手の一回のレッスン等でそう簡単に結果は出るものではありません。
そんな中、「ジュリアーノ・チャンネッラ先生という、とても分かり易い指導をしてくれるテノールの先生が日本でマスタークラスをするから受けてみれば?」というお誘いをある先輩から頂き、以前、メトロポリタン歌劇場のガラコンサートの映像でこのテノールに非常に良い印象を持っていた当時の私は、藁にもすがる気持ちで受講の申し込みをしました。
ジュリアーノ先生のレッスンは日本人のお弟子さんの御自宅で行われ、かつてのスター歌手を前に、幾分緊張気味の私でしたが、先生は愛情に溢れた抱擁で暖かく迎えて下さり、笑いが溢れる中、レッスンは始まりました。ジュリアーノ先生は実に魅力的な面白い人で、終始、東洋人の声をまねて歌舞伎役者のような奇声を上げたり、冗談ばかり言っているのですが、イタリア語が分からない私が面喰っていると「自分は変わり者なのでびっくりしただろうが気にするな!」と優しく気遣って下さり、私は只々恐縮するばかりでした。
レッスンの初めに先生は「自分が教えるベルカントは伝統的な古い方のメソードといって、今ではほとんど教える人がいなくなったが、自分はジャコモ・ラウリヴォルピという、このメソードを継承したテノール歌手の最後の弟子になって教えを受けた」と話されました。そして東洋人に共通する発声として"怖い顔で歌っている。声を押しすぎる。”という分かり易い説明で欠点を指摘され、これらの事を重点的に改善するような指導をされました。
短時間のレッスンでしたが、その指導法は抽象的でありながらも非常に的確であり、カルチャーショックを受けた私は、その場で『イタリアに行ったらぜひ生徒にしてください』とお願いし、それまで蓄えた貯金を元に長期留学を決意したのです。こうして1998年からイタリアのフェッラーラという町に住み、ジュリアーノ先生の住むボローニャまでレッスンに通う日々が始まりました。
<思い通りの声が出せるようになる>
「”郷に入れば郷に従え”つまりイタリア文化であるオペラを勉強したければ、否定的な考えは捨てて、イタリアを全てを受け入れなさい」「我々の周りに存在する全ての働きは、我々が直感的に考えるような仕組みでは成り立っていない。だから有名歌手の真似をせず、自分の真の声を見つける努力をしなさい」ジュリアーノ先生にイタリアで最初に頂いたアドヴァイスです。同じ日本人でも、これを自然に受け入れられる柔軟な頭の持ち主と、理屈を並べたがる頑固な頭の持ち主がおり、後にジュリアーノ先生に”満足を知らない超頑固者”と呆れられるようになる私は典型的な後者でした。
一般的に、物事の仕組みを分析したり、観察したりするのが得意な東洋人にとって、『イタリア人がなぜ良い声を出せるのか?』という疑問について分析し、頭で理解することに時間はさしてかかりません。しかし、”自分の発声器官の動きを確認しながらの歌うのではなく、それを意識せずに同じような発声器官の働き方を実現するために必要な要素とは何か”という難題を克服するまでには、自分の頑固な思考回路を柔軟にする努力、先生からの相当な叱咤、様々な挫折、失敗という長い道のりが必要でした。
この難題を克服する術を理解し始めてから私の歌と行動は徐々に変化し始めました。そしてイタリアで本格的に学び始めてから4年が経過したころにはイタリアで行われる国際コンクール、日本で行われる国内コンクールどちらでも常に入選、入賞できるまでの安定した声が出せるようになっていました。
<太鼓判を押され、自信を持って帰国。音楽活動を始める>
イタリア留学時に私が常に意識していた事は『ほとんどの留学生は日本に帰国して数年が経つと発声フォームが崩れてしまい、その後はフォームが日本的な癖のあるものに変化してしまい、元に戻らなくなってしまう。そうならないような日本、イタリア双方の環境に影響されない確固たる発声の要素を習得する事』でした。そのためにイタリアの環境下にあっても、ある期間は日本語のみで生活したり、一時帰国した際には、住宅環境が全く異なった環境でも、イタリアの住宅と同じ響きを感じられるような工夫をし、再度イタリアへ戻った時の初回のレッスンを試金石に位置づけました。
今考えれば、全く浅はかとしか言いようがないのですが、当時は一時帰国でしばらく先生の元を離れていても、イタリアへ戻った初回のレッスンで『問題なし!!』と太鼓判を押されれば、それまで教えて頂いたレッスンの受け取り方に間違いは無く、先生の元を離れ、日本で音楽活動を始めても発声フォームを崩す事は無いだろうと考えていたのです。
渡伊してから5年が経過した2003年にこの課題を克服し、ジュリアーノ先生から太鼓判を押され、最終帰国しました。ここから本格的な活動を始めると共に、生徒さんを5人程指導するようになりました。帰国してから4年間は順調に活動の幅も広がり、この伝統的なメソードの正しさを確信しました。
<こんなはずでは・・・・・本番での失声状態が続く>
生徒さんを指導するようになり、それまで自然に行っていた呼吸について「吸い方はどうするのか?」「支えとは?」といった基礎的な感覚についての質問を多く受けるようになりました。それまで自分の体では自然なバランスで行われていた腹式呼吸について、より的確な指導をするため、私は専門書を手に取り、勉強を始めました。書店で手に入れることのできる声楽の指導書には発声に関わっている筋肉の名称が人体の標本図を交えて細かく解説されています。これらを参考に私はより深い知識を得ることが出来、それまで自分の身体で自動的に行われていた発声器官の動きを客観視できるようになりました。
しかし、帰国してから4年が過ぎたこの頃、コンサートやオペラで歌っている最中に突然、何でもない中低音で無声状態に陥ったり、息が吸えなくなる症状に襲われ、舞台を最後まで務めることが出来ない状態が続くようになりました。喉専門の医師の診察を受けても全く異常は無く、最初の内はちょっとしたテクニックの見直しで元の状態に戻るだろうと楽観視していました。しかし、半年、1年、2年と時間が経過しても一向に改善する気配がなく、むしろその傾向が悪化していくに従い、事態はもはや、只事では済まない状況に進展していることに気づき始めました。
「こんなはずはない!」焦る気持ちを落ちつかせ、イタリアで撮りためたレッスンのビデオや録音を初回のものから全て見直しました。しかし、イメージやテクニックに関してジュリアーノ先生に教わった事と異なったことをしているようには思えず、声質も変わっていません。様々な人に声を聴いてもらい、アドヴァイスを頂いたり、精神的な面に問題があるのではと考え、何人かのカウンセラーの先生にも相談しましたが根本的な解決法は結局見出せませんでした。
やがて、発音の仕方や喉の開け方にも分析を加えるようになり、出口の見えない暗中模索が始まりました。しかし模索すればするほど発声フォームは元の状態からかけ離れた物となってしまい、簡単な練習曲すらも最後まで歌えなくなるような状況にまで事態は悪化してしまったのです。イタリアで苦労してようやく手に入れた宝はいとも簡単に失われ、やがて、誰かに相談することも諦めるようになっていきました。開いてはならない『パンドラの箱』を開いてしまった瞬間が、呼吸の分析を始めたこの時だと気付いたのはそれから数年が経ってからの事でした。
<先生の急逝で途方に暮れる>
歌手にとって本番で声が全く出なくなる症状に見舞われることは、声帯や咽頭に異常が出て一時的な不調に陥るのとは違い、後々、トラウマとして症状が残りやすく、それが長期間に渡ると自身の存在意義さえも失いかねない深刻な問題になってきます。一曲目で突然声が出なくなり、残りのプログラムをくちパク同然の状態で歌い続けなければならなかったソロコンサート。何百人ものスタッフが携わる中、本番途中で突然失声し、降板したオペラ公演等、キャンセルや失敗を繰り返す度に、襲われる自己嫌悪と共演者や周りのスタッフにかけた罪悪感で自己喪失の状態に近づいていきます。丁度この時期、全幅の信頼を置いて、お世話になったジュリアーノ先生が闘病の後、急逝され、頼るべき師を失った悲しみと共に、私は途方に暮れ、舞台から離れる選択をする以外ありませんでした。
<フレデリック・フースラーの『うたうこと』に書かれていたこと>
自分にとって”本番の舞台を諦める”が意味する事、それは、それまでの25年間追及してきた『理想の声』を獲得するための努力、払ってきた数々の犠牲や投資を、全くの無駄に終わらせてしまう事でした。毎日が自分にとって張りのない、味気ないものに感じられるようになり、発する言葉にも「どうせ」、「歳だから」、「無理」といったマイナスの精神状態をそのまま表すようなものが目立つようになっていきました。半ば自暴自棄になりかけていた当時、気晴らしのため立ち寄った近所の図書館で、私の目は一冊の本に留まりました。フレデリック・フースラー著『うたうこと』という、シンプルなタイトルの古びた本でした。今でも躓きそうになった時、一番先に目を通す、私が最も信頼する声楽教本の一つです。この本との出会いがそれまでの私の発声の問題を、最も深い見地から見直させたと言っても過言ではありません。
この本にはそれまでに私が読んだどの声楽教本にも書かれていなかった、技術以外の極めて本質的な論理が記されていました。その難解な文章に手こずりながらも、私は夢中でページをめくり続けていました。その冒頭に書かれていた『普通の(標準的な)ということは、例えば、自然なままの状態が損なわれていないことを意味するのではなく、まったく反対に、人間の通常状態においては、発声器官が常に自然の状態に反して、非生理学的な働きをしている状態を意味する』の一節に、この本には何か大きな問題解決に繋がるヒントが隠されているのではないかという直感を抱いたのです。
<声を取り戻すきっかけをつかむ>
『うたうこと』に書かれていたことを意識し練習を進めていくと、イタリアでジュリアーノ先生に教わった注意点、論理が今の日本の声楽教育の現場では全くといってよいほど、尊重されていないことに気づき始めました。簡単に言えば、”横隔膜を中心とする直接的に発声器官をコントロールしようとする教え方” が今の声楽教育の標準的な指導法になっており、私がイタリアで教わった、感情だけで表情筋の働きや、発声器官の自然な機能に結びつける指導方法は、日本では”テクニック” と ”歌う時の心の在り方” というように、分けて解釈されているのです。
この本との出会いにより、私の声は徐々に回復していきました。信ずるべき方向性が見えた事によって、「舞台で歌いたい!」という強い意志も蘇ってきました。練習時に於いては声が破たんする事が無くなったのを機に、私は本番で失声してしまう原因の解明に集中しました。『40歳半ばといえども、声自体はイタリアに留学した頃とさして変わらず、平常時は安定して歌えるのであれば、テクニックに関しては問題はないはず。問題は、本番で全く声が出なくなってしまうことがあり、その原因が分からない事』漠然としていた問題をこのように集約し、テクニック以外の要素でジュリアーノ先生に強く叱咤されている場面を、何度も録音を聴いて思い起こしました
そういった作業を繰り返していくうち、『正しいテクニックを身に付けていても、本番でそれを確認してしまい、自分の声を信じて歌えていない』という、先生が語気を荒げて指摘している場面が多いことに気付き始めました。一見、当たり前のことのように感じられますが、実はこの問題こそが、私の性格から来る、本番の舞台で最も注意すべき要素だったのです。(理論的な詳細については『目標の自動達成システム』をご参照下さい)
<自分を信じて歌うことに気づかされる>
”歌の最高のテクニックとは機能的な事ではなく、テクニックを省みず、自分の声を信じた時に初めて現れる感情や愛そのものに委ねることである。”人間は学習したことを潜在化し、やがて、意識せずにそれを行うことが出来るようになる能力を持っています。声楽が他の楽器と違い、一度身体に覚え込ませた正しいテクニックを維持しても、長期に渡って同じように歌う事が難しい理由が正にここに隠されています。
正しいテクニックを一旦身に付けても、教える機会やテクニックを見直す機会を持つことによって、発声器官の働きや、それによって生まれた響きの良し悪しを確認しようとする意識が強まり、どこかの部位に不必要な力を及ぼすのを皮切りに、それまでの自然な発声器官のバランスを崩してしまうという悪循環です。
私はブレスの方法を再検討したのを始めに、イタリアで散々叩き込まれたこれらの法則を見失ってしまい、「こうしよう」「ああしよう」と考えながら歌ううちに『自分を信じて歌う』という本来あるべきスタイルから遠ざかっていたのです。音楽を感じ、表現するのではなく、『声が正常か否か?』の確認に終始するような歌い方に、いつの間にかすり変わってしまい、既に身についていた発声の自然なバランスを崩してしまっていたのです。
このことに気付いてから私は日常の練習方法を改めました。『細かいミスや、不自然な声の箇所を修正していく』といった”部分”に注視するのではなく、『テクニックは既に持っているのだから、一曲全体を通じてテクニックを省みない外向きの感覚、つまり音楽に身を委ね、自分を信じて歌う』ことを重視するようにしたのです。テクニックに向いていた意識を封じ込めることによって、忘れかけていた音楽に対する自然な感情が次第に蘇るようになり、その感情に委ねることによって、細かいミスや不自然な声の箇所はいつのまにか、影をひそめるようになっていました。
<声楽家を目指す方に伝えたいこと。>
今思い返してみると、声楽のレッスンを初めて受けてから、私は呼吸法というものについて指摘されたことはほとんどありませんでした。今考えると、これが音楽大学を出ていない私が比較的短い期間でオペラが歌えるようになったり、コンクールに入賞できた要因であることは間違えありません。なぜなら呼吸の最適なバランスは ”母音による完全な頭部共鳴” が得られた時には既に理想的なバランスを伴っており、横隔膜の使い方やバランスについて先に意識が向いてしまうとほとんどの場合、微妙な力が喉周りに及んでしまい、顎に力の入らない理想的な頭部共鳴がいかに美しいものであり、楽に出せるものなのかを、誤解して解釈しまうからです。
このことを逆に捉えれば、横隔膜の使い方を最優先に意識し、「今の響きが自分の持っている楽器本来のものだ」と頑なに信じている人には更に良く響く伸びしろがある」という事になるのです。教師によっては腹式呼吸による息の支えを指導手順の一番に挙げる場合もありますが、腹式呼吸は睡眠時には誰もが行っている事で、特別なテクニックはありません。彼らが腹式呼吸の支えの重要性を説く理由は、彼らの身体の中で既に構築されている正しい頭部共鳴と腹式呼吸のバランスが誰にでも通用する感覚だと錯覚しているからです。
既にこのバランスを持ち合わせている人にとっては、声を出すための最初の動作が吸うという行為であることから、指導手順の一番に挙げてしまいます。しかし、この教師がこのバランスの習得までに紆余曲折をしたのか、それとも正しい指導手順に従った結果、遠回りせずに習得に至ったのかを見れば、効率的なベルカントの学び方が自ずと浮き上がってきます。
指導手順の一番に横隔膜による息の支えの習得を持ってくる考えはイタリア語やスペイン語といった既にベルカントにとって必要な頭部共鳴を多く持ち合わせている言語を母国語とする教師には全く疑いようのないものなのです。母国語のピッチやポジションが彼らとは異なった我々東洋人の歌手が同じことを習得するのに、どれほどの困難を要し、時間を必要とするのか?ということを真に理解できる外国人の教師は非常に少ないといえます。
私が長年のスランプで苦しんだ一番の原因はこの優先順位の重要さを理解せず、後に説明する伝統的な古いベルカントと近代ベルカントの2つのメソードを知らず知らず行き来していたことにあったのです。
このホームページでは、現在声楽の勉強をされている方が素晴らしい舞台を一日でも早く踏めるように、日本の声楽のレッスンではほとんど重要視されていない事柄を意識してまとめました。自分の体を楽器にするという特別な使い方は心技体のバランスを生まれたての乳児のように余分な力が入らないような自然な状態に近づけることであり、特別な訓練をして筋肉を鍛え上げるような方法では決して身につけられるものではないということを一日も早く理解して下さい。尚、ホームページ内の記述では出来るだけ誤解されないような表現を心掛けたつもりですが、文章や動画では微妙なニュアンスや感覚でどうしても伝えきれない部分があります。より深く理解されたい方、興味を持たれた方は、レッスンのご用命を頂ければ幸いです。
日本のボーカルスクールでの指導の問題点とは?
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